名 前 小田恭輔
生年月日 1983年5月17日
出 身 地 山口県下関市 現在は福岡市中央区在住
家 族 妻、3歳の息子、8歳のトイプードル(メス)
性 格 裏表がない、何事も真剣に取り組む、妻には時々面白いと言われる
モットー どんなことでも細分化していけばできる様になる
資 格 ネイティブウォーキング協会認定インストラクター
福岡ふっと小田はマスターインストラクターに認定されています。
マスターインストラクターとは?
多くの経験・改善実績を積んだインストラクターだけが認定されるのがマスターインストラクターです。全国のネイティブウォーキング協会認定インストラクター100名以上いるなかでマスターインストラクターは7名だけです。九州では当院だけ。
大川カイロプラクティック専門学院卒業
トリガーポイント研究所アドバンスコース卒業
そのほか様々な勉強会、セミナーに参加する
好きなもの 自然、釣り、システマ(ロシアの武術)
好きな映画 おおかみこどもの雨と雪
(子供ができてからみるとなおさら響きます。愛犬の名前もこちから拝借。)
好きな歌手 斉藤和義
少年時代
実家が山や田んぼに囲まれていたこともあり、野山をかけまわって育つわんぱく少年。
ある日の水泳の授業で自分の足跡にだけ土踏まずがないことに気が付きショックを受ける。
「扁平足は不健康だから」「扁平足は長生きできない」とまわりから言われ
親が心配して裸足で歩きなさいと躾けられる。
裸足で足裏を刺激すると扁平足が治ると言われ実行していたが、社会人になっても改善しなかった。
サラリーマン時代
大阪や山口で、飲食業や建築業に従事するものの立ちっぱなしや歩くと痛くなる腰痛で苦労する。
病院へ行っても「異常なし」と言われどうすることもできずに悩む。
当時は「自分は扁平足だから仕方がない」と諦めていた。
そしてその頃、会社の同僚が酷いヘルニアで松葉杖をついていたが整体院に通いスタスタ歩ける様になっていたのを目の当たりにして、整体師という仕事に興味を持つ。
2012年に治療院を開業して以来、 ありがたいことに多くの方のご支持をいただき、 はた目からは順調そうに見える日々を送ってきました。
しかし私の胸の内は、順調には程遠いもの。 患者さんに対しての罪悪感に、苛まれる毎日でした。
その大きな理由は 「私自身の不調を治せない」というもの。
私にも体の悩みがあり、それは 「長く歩いたり、立ちっぱなしが続くと、 耐え難い腰の痛みに襲われる」という症状。 愛犬の散歩も、たった30分が限界。
これがきっかけで、サラリーマンを辞めて 治療家になったようなものです。
しかし、それは治療家となった後も、 自分の治療院を持つようになってからも ずっと続いていたのです。 多くの患者さんが、私の治療院に通ってくれます。
良くなったと、喜んでくれます。
でも私は、自分の体すら治せない。
そんな私が施す治療は患者さんにとって、 ベストではないのではないか。
他の治療院に行った方が、 もっと良い結果を得られたのではないか。
「患者さんは喜んで通っているんだから、 それでいいんじゃない」 相談した方の中には、 そういう人もいました。
しかし根が馬鹿正直な私には、 とてもそんな風には 思えませんでした。
私は、私自身に胸を張りたかった。
それを手にせず、患者さんには到底、 胸を張ることはできなかった。
そんな毎日を過ごしていたのです。
しかし幸運な出会いがあり、 私はそれを克服する道に 辿り着きました。
私が血眼になって探していた 「治療法」という中に、それは存在しなかった。
結局は姿勢や、特に歩き方という自らの 「生活習慣」の改善の中に、その道があったのです。
おかげさまで、今では腰に不安のない毎日。
愛犬の散歩も、2時間以上でも大丈夫。
そして今は、 諦めず探し続けた自分に 自分を救えた自分に、 それを患者さんに伝えている自分に 胸を張ることができるようになりました。
しかし、世の中には私と同じように、 体の不調に悩み、さまよっている方が 多くおられるはず。
時間も、お金も、自信も失い 出口の見えない場所で、 途方に暮れている方が、 沢山いるはず。 そんな方たちに、伝えたい。
出口は必ずあるんだと、教えたい。
私が幸運な出会いによって抜け出せたのは、 それを「多くの方に伝えるため」のはず。 そんな思いをもって今日も、 患者さんをお迎えしています。
略歴
2008年に東京品川区にある大川カイロプラクティック専門学院に入学。同時に江東区にある学院OBの整体院に勤務。
2010年に大川カイロプラクティック専門学院を卒業。
2012年に福岡市南区で、どこにでもある普通の整体院として開業。
2019年にゆるかかと歩きと出会い、外反母趾専門と方針を定める。屋号も「福岡ふっと」に変更。
2020年に天神南に移転。
現在。